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『正欲』を読んで -大人の読書感想文01-

この記事は『正欲(朝井リョウ著)』のネタバレを含みます。
ご留意ください。

『正欲』はマイノリティの話です。
ただ、性的マイノリティの話ではない点には注意しておきたいところです。

「欲」という字が含まれているために誤解されやすいようですが、外に出れば容易く目に入ってくるような、ありふれた、それでいて無理解にさらされているマイノリティの話です。

「主流派でない」を抱える登場人物たち

登場人物の一人、夏月なつきは寝具メーカーに店頭販売員として勤めています。
夏月は自分がマイノリティであるという認識を強く持っていますが、それは彼女の性欲の対象――流体としての水が形状を変えるさまに興奮することに根ざしています。

作者である朝井リョウは、デビュー作『桐島、部活やめるってよ』の頃から心理描写を情景描写に仮託する作家ですが、夏月の居心地の悪さは、勤めている勤務地であるショッピングモールの空調として表現されています。

モール全体で設定されていることなのだから仕方がないのかもしれないけれど、どこかの季節でくらい、空調の強度が自分の身体にしっくりくるときがあってもいいのにと、夏月は思う。

夏月はマジョリティに属する人たちを恨んでおり、彼らが多数派を占めているこの世界に復讐心にも似た感情を抱いています。
どうあっても自分がマイノリティ側にしかなれないことにねたような気持ちになり、卑屈にもなっています。

このような感情は、マイノリティに属する自分にもとても身近な感情です。

『正欲』に登場する流体としての水になぞられて、ここではマジョリティを「主流」、マイノリティを「傍流」と呼ぶことにします。
主流/傍流と表記するのは、1つにはマジョリティとなる属性も恒常的にマジョリティであり続けられるわけでなく、マイノリティもまたずっとマイノリティにしかなり得ないわけでもなく、双方は少しずつ、しかし確実に移りゆくものだからです。

主流派となる属性は、その時々のものによって規定されます。
子どもであれば、ねりけしを持っている、友達を家に呼べる、習い事に通っている、有名人を知っている、ゲームを持っている、ディズニーに行ったことがある、親がホワイトカラーである、転校したことがない、塾に入っている、そして、両親ともに健在。

そこから外れれば傍流とされ、特有の疎外感や居心地の悪さを味わいます。

一時的に主流派に属した人は自らを「普通」「まとも」「一般的」「常識的」と認識し、そうでない傍流の人を無自覚に傷つけます。
まともじゃない、普通じゃない、一般的じゃない、非常識だと。

それは大人になってからも変わりません。
大学を出ている、定職に就いている、恋人がいる、性交渉したことがある、結婚している、持ち家である、出産と育児を経験している、そして、実家の両親との仲が良好。

子どもの頃と形こそ変わるものの、主流と傍流の区切りは確かにそこにあり、成人したからといって仕切られることから解放されるではありません
夏月もまたそんな主流の人たちとの間で擦り切れ、世界との嚙み合わせを失っていきます。

何かのきっかけで、これまで散々頭の中で練ってきた言葉が氾濫しそうになる。この世界の循環の中にいられる癖に不満ばかり垂れ流す人間たちに対して、人生をかけて醸成してきた思考を力の限り投げつけたくなる。だけどそんなことをしたって、何も変わらないことも知っている。世界に対するとっておきの復讐なんかにならないことも知っている。
そのうえでただ叫びたい、こんなにも辛いんだと。

傍流の人ほど感情は暴れます。
主流が意図せず恩恵を受けている緩衝クッションが、傍流の人たちにはないからです。

何かある度、侵害されるのではないかとビクつき、怯えます。
何となく「これでいいだろう」とは思えず、迷い、「自分は合っているのだろうか」と絶えずチェックします。

気持ちを同じような人に打ち明けることもできず、感情は心の底におりのように残り、ストレスが蓄積していくのです。
そんな経験を、夏月も幾度となく受けてきたことでしょう。

世界にあるのは主流と傍流の線引きだけではない

『正欲』がただのマイノリティを描いた作品でないのは、単に主流側の想定を超えた、珍しい傍流の話だからではないと思っています。
それにはタイトルの「欲」の部分、つまり能動的に好きになったものであるか、そうでないかが重要です。

子どもの頃にも、傍流の中には2種類の人たちがいました。
この番組が好き、このゲームが好き、このバンドが好き、このアイドルが好き。

能動的に好きになったものがあればそのことを語り、傍流であることをさほど気にしていないようでした。
もちろん侵害されたくないという当然の感情は持っていましたが、自分が楽しければ、マジョリティもマイノリティもどちらでもいい、という様相スタンスのようでした。

昨今の「推し」ブームに代表されるように、能動的に好きなものがあること、没頭したり心血を注いだりできる何かがあることは、大人になってからも重要な区分であるように思います。
そして、この『正欲』では、「欲」は能動的に好きになったわけではないもの、ある種の業のように描かれているところがあります。

この「欲」はまた、「やまい」の暗喩メタファーでもあるでしょう。

水に欲情することは、登場人物の誰も「そうなりたい」と望んだわけではありません。
「欲情しているのだから、好きなのだろう」と錯覚しそうになりますが、考えてみれば確かに、好きでも好きでなくても空腹時に食べ物を見れば唾液が出ますし、不眠不休で活動した後はまぶたが落ちてきます。
そこに「好きだ」と積極的な気持ちとして表現するのは、少し違和感を覚えます。

つまり、『正欲』は傍流であるだけでなく、その中で好きを見つけられなかった者、熱中や没頭の対象に出会えなかった者、好きでもないものを押しつけられた者たちの話なのです。

クラスの隅に追いやられた子たちも、その中で好きな漫画の話をしたり、セガのハードから出ているゲームの話をしたりしていました。
別の子たちはまた、メジャーデビュー前のVビジュアル系バンドの話をしていたり、二次創作を公開しているホームページの話題を話したりして盛り上がっていました。

そんな、「好き」のある者たちの輪にも入れなかった人。
その人たちの孤独を描き、そこからの回復を示した上で、「好きなものがなくてもいいんだよ」と『正欲』は肯定してくれます。

「没頭」や「熱中」がなくても生きていていい

主流に乗れなかっただけでなく、「好き」も見つけられなかった人はどうしたらいいのでしょう。
「好き」を見つけてしまえばいいというのが夏月と佐々木の出したの1つの答えですが、それとは別の解答がもう一人の登場人物、八重子の発言から垣間見えます。

私さっき、びっくりしたんです。
二人がすっごく自然に生理のこと話してたから……。さっきの二人の会話聞いてて、私も家の中にそういうこと言い合える人がいたらすっごく救われただろうなって思ったんです。
今日、真輝さんとお会いして、紗矢さんが実行委員で代表に選ばれるくらい慕われてたり、素敵な案を沢山出せる理由が何かちょっとわかったような気がしました。

主流は主流ゆえ、「これでいいんだろうか?」なんて迷いません。
そういった迷いは「みんなやってるし」で乗り切りますし、迷うときがあるとしたら本道から外れたとき、すなわちもう主流ではなくなったときだからです。

そこには、多くの人が選択しているものは正しいと思い込む、バンドワゴン効果の影響も絡んでいるでしょう。

しかしそういった「みんな」との交流の場を持たない傍流は、一人の頭の中で必死に考え込みます。
考え込むが故に人の意見も反応も知れず、更に孤立を深めていってしまうのです。

八重子の生理が特殊で、真輝と紗矢姉妹の生理が人に話しやすく一般的なものだったというような、そういうことでもありません。
最初の一歩は口にするのをはばかられたけれど、話してしまえばその後も気軽に共有できるのが性の話題です。

八重子はそれを重く捉え、性のことも兄のことも打ち明けず、余計に重く心の底に沈めていました。
八重子のように重く思い悩む様子も傍流の人間としてはよく分かりますが、そういった重さから解き放たれた人間が、紗矢のようにバイタリティを発揮したり、真輝のように社会で活躍していったりしているものです。

この「軽さ」は何も、主流だけが享受できる恩恵ではないように思います。
打ち明けることと受け容れられることで得られる「軽さ」は、夏月と佐々木も身をもって体験しています。

大きく息を吐くと、夏月は椅子から足を下ろし、両手を挙げて思い切り背中を反らせた。そして、
「でも、こうやって卑屈になるのにも、もう飽きたかな」
と、引き抜いたティッシュで勢いよくはなをかんだ。
こうやって卑屈になるのにも、もう飽きたかな。
その言葉の響きは、除夜の鐘が百八回分まとめて鳴らされたかのように巨大だった。

冒頭で述べたように、朝井リョウは心理描写を情景描写に仮託します。

ボックスからティッシュを引き抜いたときの心地良さ、勢いをつけたはなをそれに噴射したときのムズムズやもやもやからの解放は、人に打ち明けたときの爽快感と軽さと重なります。
このムズムズやもやもやは、夏月を取り巻く「空調の設定温度の合わなさ」、つまり世間との嚙み合わなさは未だに続いていること、しかしその気持ちを胸のうちに留めず排出できていることを、端的に表していると思います。

傍流でもいい、好きなものがなくてもいい、でも、一人重く沈み込まなくたっていいじゃないか。
『正欲』の示してくれた対話の大切さを噛み締めながら、自分も精いっぱい生きていこう、そう思える一冊でした。

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