九段下駅から徒歩1分
月~土実施

ご予約はこちら

パトス

『残酷な天使のテーゼ(歌:高橋洋子)』の歌詞には、「テーゼ」や「バイブル」など、聞きなれない横文字が登場します。
「パトス」もその中の一つであり、残テで知ったという方も多いのではないでしょうか。

エヴァには神学や哲学、論理学や心理学の用語が散りばめられており、それが作品の衒学げんがく的な雰囲気を醸し出すことに一役買っています。
ラテン語からきている「パトス」も、同じく難解さや学術的アカデミックな雰囲気をまとった単語であり、まさにその「聞き馴染みのなさ」によって、作品全体の統一感を生み出すことに成功しています。

パトスとは何か、どのようなニュアンスを伴っているか、どのようにエヴァという作品と関わっているかについて解説します。

パトスの意味は? パトスの定義

パトス(pathos)とは、ギリシャ語で「情念・情動」の意であり、英語の「感情的に高ぶる気持ち・激しい情熱(passion)」の語源でもあります。
対義語はロゴス(logos)であり、こちらは「理性・論理・意味」といった意味になります。

『残酷な天使のテーゼ』におけるパトスも、まずこの「情動」の意味で用いられていると考えて間違いないでしょう。
一方で、パトスの意味にはこれ以外の側面もあります。

パトスは「情動」だけじゃない?! パトスのコア概念と別側面

ギリシャ語のパトス(pathos)を語源とするものに、病理学(pathology)があります。
これは、パトスのコア概念が「何かしらを受け取った(受動的)状態」であり、外界からの刺激を受けて生じた「情動」も「傷や痛み」も、パトスとされていたことからの派生です。

パトスには、主体的な思考や理知、能動的な行動の対極である「痛み」や「苦しみ」、「つらさ」といった意味合いも包含されています。

エヴァに込められた「パトス」

『残酷な天使のテーゼ』の話に戻しましょう。

歌詞の中で用いられているパトスは「情動(passion)」の意味ですが、同時に「痛み」の意味でも解釈することができます。
それは、エヴァという作品がとにかく「現代人の抱える痛み」を描いた作品でもあるからです。

以下は、エヴァ内で描写されている「痛み」の一例です。

  • 早くに母を亡くす痛み
  • 「自分は父(母)にとって要らない子ではないか」と感じる痛み
  • 自分の意思とは関係なく、おこなったことを罰される痛み
  • 嫌なことから逃げようとする痛み
  • エリートであるという矜持プライドを傷つけられる痛み
  • 他者に拒絶される(のではないかと不安に駆られる)痛み
  • 自ら決断しなかったために友人を傷つけてしまう痛み
  • 母の面影を持つ少女を目の前で殺される痛み
  • 自らの手で親しくなった者を殺さねばならない痛み
  • 他者の評価に自己評価が左右される痛み
  • 役割のみが求められ、個人そのものは求められていないことを知る痛み
  • 最愛の人(妻・元彼・弟子)を見送る痛みと、喪う痛み

こうして見ると、主人公・碇シンジは目まぐるしく変化する状況に巻き込まれ、そこから情動を惹起じゃっきさせられ、混乱したり、恐怖したり、逃避したりしています。
1995年の放送当時から現在まで、視聴者から「しゃきっとせず、うじうじしていて苛々する」と言われたり、「状況に流されるままで主体性がない」と言われたりしたことも、一度や二度ではありません。

他の主要な登場人物にしても、悲惨な境遇を受けて反発したり、意固地になったり、鬱然としたりと、状況から情動を受け取ることがほとんどであり、自ら選び取ることはほとんどありません(だからこそ、決意し選択した場面が際立つわけですが)
そもそも主人公が未成年であり、敵がどこからともなく現れる謎の生命体なのですから、受動的なのもむべなるかな、といったところです。

エヴァが一世を風靡し、世代を超えて愛される作品になった要因の一つには、この現代人の抱える痛みパトスを真正面から扱ったからと考えられます。

時代を映し出した『残酷な天使のテーゼ』

紀元前4世紀ごろ、今から2400年以上前に古代ギリシャで始まった西洋医学では当初、病理を取り除くこと=苦痛をなくすことと考えられていました。
しかし現代、病理を取り除いたからといって苦痛がなくなるわけではないこと、更にはどこにも病因が見当たらなくても「痛み」や「つらさ」を感じることが、皮肉にも文明と医学が進歩してきたことによって鮮明になってきています。

一度は理性ロゴスによって明らかになりつつあった苦痛パトスは、再び理性ロゴスではないものとして、存在感を増すようになっています。
情動パトス理性ロゴスの葛藤によって苦しまれている方、頭では分かっているけれど心がいうことを利かず生きづらい方などは、当院のカウンセリングで落ち着きを取り戻せるかもしれません。

それにつけても驚くべきは、作詞された及川眠子さんです。
OP完成映像を観ることなく作詞され、本編も一度も観ていないそうですが、それでいてあたかもパトスという単語をダブルミーニングであるかのように選べたり、先の展開とも読めるような抽象度の歌詞を書けたりするところは、類まれなる才幹と言わざるを得ません(極論、同意義語ならラテン語のパシオpassioでも意味は通じます)

おそらく、庵野監督と別の角度から、同じ時代性を切り取ったところ、それが偶然一致したということなのでしょう。
無理に時代を先取るのではなく、感じたことが結果的に時代を作るような、そんな仕事をしていきたいものです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました