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絶望と希望

皆さんは希望を持っていますか?
それとも、絶望に打ちひしがれているでしょうか?

絶望も希望も、言葉は知っているけれどもあまり口には出さない言葉。
感情の一つだという意見もあるし、でも感情とは何か違うような気もするし、という人が多いと思います。

精神疾患の治療的観点から、絶望と希望とは何なのかを説明します。

絶望や希望は未来に対する向き合い方

希望とは、未来に望みをかけること、またそのようなさまとされます。
一方、絶望とは、希望がないこと、望みが絶えることの意です。
「希望がある」「希望が持てる」といった使い方もすることから、将来や未来に対するポジティブな感情という見方もできるようです。

希望も絶望も、キーワードは「未来」です。
「未来はある」「未来は明るくなる」といった考え方や確信を希望といい、「未来はない」「明るい未来は来ない」「今後も今と同じくらい悪いか、あるいはもっと悪くなるかだ」といった考え方や確信を絶望というようです。

「未来に対する考え方」と言いましたが、これは人生に対する考え方でもあります。
実はこの考え方(心理学的には態度)は論理や理屈で導き出されたものではなく、「そう思っているからそう思っているのだ」というような、あらかじめ自分の中で決まっている信念のようなものです。

未来は「ある」とも「ない」とも言える

皆さんは「未来」や「明日」はあると思いますか?それとも、ないと思っていますか?
未来とは書いて字の如く「まだ来ていない」わけですから、ないと言えるかもしれません。
明日さえ、自分が「仕事や学校に行かない」と決めれば職場や教室にはいないわけですから、確定した未来もありません。

一方、今日中に死ななければ明日を迎えられるわけですから、明日も未来もある、とも言えます。
今日やらかした失敗でも明日はやらかさないように意識することができるでしょう。
今日は知らなかった知識も明日には知っている、もしくは知ったことがあると記憶されているのですから、知らなかった状態よりは未来に前進しているとも言えます。

こう考えていくと、確定した未来はなくとも、今より良くなった明日や未来は漠然とあるような気がすると考えている人が、大半なのではないでしょうか。

「未来はない」で出せる力もある

漠然と「今より良い未来はありそう」と考える一方で、「そんな未来なんかない」と考えることによって自分の中から生まれる力というものもあります。
例えば、オリンピックハンマー投げ金メダルを賭けた最終投擲前、今大会を最後に現役引退を表明している選手は「今後自己ベストが出なくてもいいから、今ベストの一投を」と祈るでしょう。

「この先きっと良くなるから」といった希望的な感覚ではなく、「未来などなく、今しかない」といった切実な気持ちによって出せる力や集中力というものがあるのです。
そんな気持ちで生きることを説いた言葉が、メメント・モリです。

メメント・モリとは、ラテン語で「死を忘ることなかれ」という意味の警告文です。
「誰しもいつ死を迎えるか分からない。だからいつ死んでも良いように、今を正しく精一杯生きよ」というメッセージであり、未来に対して安易で楽観的な希望を抱くことがないよう、戒めているともいえます。

同様に、今を精一杯生きねばならないことを示した言葉として『賭博破戒録カイジ』の大槻班長のセリフがあります。
「今日をがんばった者……今日をがんばり始めた者にのみ……明日が来るんだよ……!」というセリフは、何となく漫然と生きてしまいがちな社会人や学生の心に、活気と生気を取り戻させてくれる名言です。

これらは、一旦絶望的な心境に至ることで再び全力で物事に取り組み、その結果活路が開かれ、行き詰まった現状から脱せることを言い表しています。
ただ問題なのは、そういった切実で必死な気持ちが、一時的ではなく恒常的に(常に)生じるようになってしまった場合です。

絶望か希望かは自分の心が決める

「未来はない」と絶望する人は、そのときその瞬間には最大瞬間風速の力を出すことができます。
反面、そこで体を壊してしまったり、一時的に気持ちにブーストをかけた反動で燃え尽きてしまったりする危険性もはらんでいます。

一方、「未来はある」と希望を持つ人は、成功したら心から喜び、たとえそこで失敗しても「次もっとうまくやればいいや」と未来のことに視点を切り替えられます。
短期的には「未来はない」の方がパフォーマンスを高められますが、長期的には「未来はある」の方が成長し、高い成果を上げることができるのです。

未来を「ある」と思うか「ない」と思うかは、宗教のようにどちらかを信奉しているケースが多いようです。
「未来がない」の人は絶望教に入信し、自分の身に何が降りかかろうとも「未来はない」と考える、「未来はある」の人は希望教に入信し、何が起きても「未来はある」と捉える、といったような具合です。

全く同じミスをしても、絶望教の人は「ダメだ。評価されるわけがない。終わりだ」と捉えるのに対し、希望教の人は「まあ直せばいい。ワンチャン好評価の可能性もある。次はうまくやれる気がする」と捉えます。
困るのは、絶望教の人が「気分を良くするために物事の捉え方(認知)を変えたい」とカウンセリングに訪れても、まず絶望教から改宗してくれないと認知が変わらないという点です。

はじめに述べたように、未来は「ある」とも言えますが「ない」とも言えるため、正解/不正解があるものではありません。
カウンセリングの中でどんなに「ね?未来はあるでしょ?」と言ったり根拠を示したりしても、上述したように「でもやっぱり未来はありません」と言われてしまうと、それも一つの真実であるため、話がそこから先に進まないのです。

認知行動療法における認知再構成法やその他の認知変容を目指した技法は、基本的に一度ダメでも二度目があることを前提にディスカッション(討議)したり、行動計画を立てたりします。
「でもそのチャンスは一度きりです。一度失敗してしまえば、同じチャンスは二度とありません」と言われてしまうと、それはその通りなのですが、行動することもできなくなってしまうのです。

認知を変えたいと思ってカウンセリングに訪れても、「未来はない」の視点に囚われた結果、カウンセラーと喧嘩別れになってしまった方も少なからずいました。
認知変容を成功させた人とそうでない人の差は、まず「未来はある」という前提に立っていたかという、小さな差によるものだったのかもしれません。

まとめ

「未来などない」という前提で物事を考える態度を、絶望といいます。
一方、「未来はある」という前提に立って物事を考える態度を、希望といいます。

「未来はない」と信じることで今ここに集中し、普段出せない力を出せたり、起こせないような成果を生み出したりすることもあります。
一方で、「未来はある」と信じた方がその後も成長したり改善したりすることができ、長期的にはより大きな成果を上げることもできます。

絶望的な気持ちになりやすい人は、「未来はない」という立場を取りやすくなっているのかもしれません。
絶望か希望かはどちらが正しいかではなく、どちらも正しい考え方ですので、まずは「未来はある」という前提で物事を捉えることが、気分や認知を変える第一歩になります。

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