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雨男と晴れ女 -確証バイアスや帰属理論-

「自分が出かけようとするといつも雨だな」
「なぜだか分からないけれど、屋外でのイベントではよく晴れる」

皆さんはそう考えたことはありませんか。
もしくは、皆さんの周りにそう公言している人はいないでしょうか。

雨男や晴れ女と考える人とそうでない人は何が違うのか、心理学的な視点から説明します。

確証バイアス

雨男や晴れ女といった、「私は◯◯である(または、◯◯ではない)」といった確信的な考えの裏には、確証バイアスという心理が働いていると言われます。
確証バイアスとは、一度思い込んだ内容に合っている事実ばかりを収集したり記憶したりしやすくなる心的傾向のことであり、バイアス(bias)とは心理的偏り、思い込み、先入観といった意味です。

あるときふと、「私は雨に降られることが多いのではないか?」と感じます。
この時点ではまだ確信度は60%くらい、そうかもしれない程度です。
そこで自分が外出の予定を立てたり人と会う予定を入れたりした日に注目していると、確かに天気が悪いことが多い。
この時点で確信度は70%くらいになります。

過去の出来事を思い返してみても、どこかで雨に降られていた。
この時点で確信度は80%くらいですが、自分の立てた「雨に降られやすい」という仮説に反した日のことなど記憶していないので、雨に降られた日のことばかり記憶に残ります。

そして、「次の予定の日にも雨が降るだろう」と予想し、少しでも降られれば確信度は90%に。
最後の仕上げで、友人や知人に「来週のイベントだけど、きっと雨だよ」と宣言し、そのとおりになったところで確信度は100%に達し、「自分は雨男だ」という信念が確立するというわけです。

「そんなの、どこかで反証が出て不成立になるだろう」と思われがちですが、意外と自己定義に関する事柄は、反証の方を都合よく忘れてしまいやすいものなのです。

原因帰属

人には何かが起きたとき、即座に「〇〇のせいだ」と考える心性があります。
心理学ではこれを原因帰属といい、「雨が降る」や「晴れる」という天候に関してもこの原因帰属が生じているのが、雨男や晴れ女という発言です。

原因帰属を分かりやすく捉えるために、じゃんけんで考えてみましょう。
皆さんはじゃんけんに勝てたとき、「私はじゃんけんが強い」と思うでしょうか。
それとも、「私の出した手が相手の手に偶然勝っただけだ。たまたまだ」と思うでしょうか。

「私はじゃんけんが強い」と思う人は、自分の能力に帰属しており、「たまたまだ」と思う人は、運に帰属しています。

ベルナルド・ワイナー(Weiner, B)によると、原因帰属は「内部/外部」と「安定/不安定」の2軸によって、4つに分類されます。
内的で安定的な原因に帰属をすると「自分の能力のせい」と思い、外的で安定的な原因だと「課題の難易度のせい」と考えます。
内的でコントロールの難しい(不安定な)原因に帰属すると「自分の調子や努力のせい」と思い、外的でコントロールの難しい原因だと「運のせい」と考える、といった具合です。

自称雨男や晴れ女は天候という外的要因を「自分のせい(おかげ)」という内的要因にしやすいと言えるでしょう。
「自分が雨男だから雨になった」という場合もそうですし、「日頃の行いが悪いから雨に見舞われた」も「自分は龍神の加護を受けているから雨が降りやすい」も、全てこの「内的要因に帰属しやすい傾向」から来るものだと言えます。

なぜ雨男や晴れ女が生まれるのか

幼少期、「算数の問題が解けない」や「逆上がりができない」といった場合に、「課題が難しすぎるからだ(外的帰属)」と考えると、努力したり工夫したりしなくなってしまいます。
「何回も練習していないから」や「コツを掴めていないから」と内的帰属することではじめて、解決できたり力をつけたりできます

日本の義務教育過程に忠実でいると、内的帰属を行いやすくなります。

雨男や晴れ女のケースも同様です。
内的なことに帰属することが癖になっている(偏っている)人は、課題の難しさや運の絡む要素まで「自分が〇〇だからだ」と帰属し、何とか改善の道はないか、打開策はないか考えようとします。
成長するに従って外的要因にも気づけるようになるのですが、幼少期には特にこの傾向が強く、呪術的思考と呼ばれることもあります。

物事は切り取り方次第

ここまで「雨が降った」や「晴れた」と簡単に表現してきましたが、では晴れ女は「全く雨に降られていない人」なのでしょうか。

もし雨に降られてもすぐに止めば、晴れ女は「私が晴れ女だから雨は止んだ」のように考えるでしょう。
建物に入った途端に降り出せば、「私が屋内に入ったから降り出した」と思うかもしれません。
外にいるときに降られても、「私が晴れ女だからこれくらいの雨で済んだ」と言い、その後虹でも出ようものなら、「晴れ女で虹まで見られて、なんてラッキー」と有頂天になるかもしれません。

要するに、晴れ女も雨男も、事象の切り取り方ひとつなのです。
「どちらでもなれるのなら気分の良い方に」と決めているのが晴れ女であり、「高揚はしないが、気持ちが安定するから」と決めているのが雨男、と言えるかもしれません。

このように、「どちらとも捉えられる事象や物事を、別の捉え方ができるようになること」を認知変容といいます。
認知変容にはコツがあり、自分自身に「こう考えときゃいいんだよ!」と強要するだけでは変容せず、かえって定着してしまうことが多いです。

認知変容して気分を変えたい方、定着してしまった認知を柔軟にしたい方、希望的な考えはできたけれどその先に進めない方などは、ぜひ一度当オフィスにご相談ください。

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