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受動攻撃性パーソナリティ -不満を溜め込み後から反抗する性格傾向-

怒りや苛立ちを感じてもすぐに表現できないとき、私たちは幼少期からの習慣に倣い、受動攻撃という形でその感情を表出します。
受動攻撃性パーソナリティは、特に受動攻撃を行いやすい性格パーソナリティです。

性格は、感情や思考、対人関係上の行動パターンなどが特徴的なだけでなく、それが長い間、誰に対しても一貫して見られるものとされています。
受動攻撃性パーソナリティもまた、受動攻撃以外の行動パターンにも一貫した特徴が見られます。

気分障害やストレス関連障害、アダルトチルドレンとも関連の深い受動攻撃性パーソナリティ。
受動攻撃性パーソナリティの人はどんな行動をとり、何を考えているのか、原因は何か、どう対処したらいいのかなどについて説明します。

受動攻撃性パーソナリティとは

パーソナリティの統合理論である人格適応論では、受動攻撃性パーソナリティは対人関係には積極的な反面、問題解決には受け身で受動的性格パーソナリティとされています※1
能動的に取り組めば精神的な負担が少なく済むところでも「待って」しまい、人から指示されたり命令されたりしたことで不満を溜め、それに反発する形で受動攻撃します。

受動攻撃性パーソナリティの特徴

おどけて笑いをとる

本題と関係ない話、作業の合間に話すような雑談、ゴシップを好みます。
仕事の話や主題に関する話題というのは感情が動かず、落ち着きがなくなったり、退屈したりしがちです。
特に目立とうとか注目を集めたいわけではなく、ワイワイガヤガヤしている状況を好み、そこで参加者も同じように喜んだり楽しんだりしてくれることを望みます。

ムードメーカー

相手が笑ってくれている状態に何よりも安心し、怒っている、悲しんでいる、真面目にしている状態ですら不安になり、何とか笑わせようと、ボケたりおどけたりします。
ムードメーカーとして重宝されることもある反面、困難に直面しているときの会議などは議事が進まなくなったり、真剣に聞きたい授業や番組を邪魔されてしまったりすることもあります。

場が笑顔で包まれている分には問題ないのですが、その「笑いに満ちている」「盛り上がっている」状況を無理して作っているところが特徴です。
「本当は盛り上げ役なんてやりたくなかったのにやっていた」や「自分はあれだけ我慢して皆は恩恵を受けたのに、何も返してくれないなんて不公平だ」のように、不満を溜めながら「みんな」のためにやっていたと、受動攻撃することが多くあります。

上下関係に敏感

場に上下関係を持ち込まれることが嫌いで、上から言われたように感じたり、命令されたように感じたりすることに過敏です。
「どの発言が上から?命令に感じた?」と具体的に尋ねられても回答できず、「何となく」や「雰囲気」といったニュアンスや抽象的な感じ方に特に反応します。
「傷つけられた」「思いやりがない」「受け止められていない」と感じやすいのも特徴です。

これは、幼少期の体験を元に知覚していることから来ています。
幼い頃に幼稚園や公園で遊んでいたときのような、上下関係のないフラットな関係を理想としているため、偉そうに振る舞われたり仕切られたりすることに反応してしまうのです。
同じく幼少期、食卓で父や母が場を取り仕切り、自分に発言権がなかったことへの反発が大人になってから出現している場合もあります。

イエスバットゲーム

一旦同調しているかのように話し始め、「ただ、」や「けど、」と逆接して反論や異議を述べる話し方をイエスバットゲーム(Yes, but game)といいます。
率直に自分の意見を表明することに怯えや抵抗感があり、前置きすることでその感情を和らげながら、自分の不満は言わないと気が済まない、という心理からくるものです。
受動攻撃性パーソナリティは、イエスバットゲームの達人です。

イエスバットゲームは、双方が最終的に不全感で終わるのが特徴です。
相手は、聞き入れてもらえていると思いきや反発されるのでいい気はしませんし、長々と前置きされるのでうんざりします。
反論している方も、不満を素直に言わないことで新たなストレスを溜めますし、不満という感情から出た反発なので結局棄却され、不満のまま心に残ることになりやすいです。
きちんと筋道を立てて反論する会話は双方満足して終わるので、イエスバットゲームには当たりません。

甘えや試し行動が多い

「これくらいは許容してもらえるだろう」「これくらいならわがまま言っても大丈夫」と、他者に甘えの認識を持ちがちです。
相手や周囲が甘えを受け入れてくれる存在かどうかを確認するため、わがままを言ったり図々しい態度や発言を表したりしやすく、その意に沿わないときに受動攻撃します。

不満を言っても受容されること、多少の無理を通してもらえることを「親密さ」と錯覚しているため、真に満たされた感覚を得られず、ストレスのため込みと暴発を繰り返します。
これも、「(母神のような)圧倒的で全面的な擁護者」と「自分」という二者関係を対人関係の理想に置いており、そこから引き起こされる悲劇と言えるでしょう。

「人の気持ちや考えが分かる」と思いやすい

母子関係をそっくりそのまま成人後の対人関係にも適応しやすいため、あたかも「母が子=自分)の気持ちを分かってくれた」ように、他人にも自分の気持ちを分かってほしいと願いがちです。
自立した成人は他者と同じように考えたり感じたりはしていないので、その希望は往々にして叶わず、不満を溜める結果に帰着します。

他方、「自分は人の気持ちが分かっている、察せている」とも思いやすいところがあります。
こちらも先ほどと同様、立場や視座が異なれば考えは自他で異なることが常ですから、思いどおりに事は運ばず、フラストレーションやストレスを溜めることになります。

察しの良さや共感力のようなものを「至高の能力」と捉えがちです。

受動攻撃性パーソナリティの困りごと

見捨てられ不安

安定した他者観を持っていないことも多く、「呆れられて見捨てられるのではないか。裏切られるのではないか」といった見捨てられ不安を抱きやすいです。
相手に離れていかないかを何度も確認したり、目の前に相手がいないと電話やLINEで所在や行動を確認したりします。

不安を低減する方法は自分の技能スキルや役割を確立させて自信を持ち、相手からも頼られたり必要とされたりすることなのですが、不安からくる行動ばかりとってしまうためにそれらが確立せず、徐々に人から必要とされなくなっていき、より不安になるという悪循環に陥ります。

怒り

対人関係では不満を抱きやすく、それが怒りの形で表面化することが多いです。
溜め込んだ不満が上限に達して暴発するため、乳幼児のかんしゃくのような形で出ることもあります。
かんしゃくは一種のパニック状態のため、誰に何を怒っているのか不明瞭なことも多く、ストレスが発散されたらケロッとしている場合もよく見られます。

もちろん、不満が怒りとなり、しかし社会適応的な表現方法を習得していないがために、嫌味や手抜きといった受動攻撃によって怒りを表明することもあります。
フラストレーションの大元である問題には働きかけず、むしろフラストレーションを溜める方向にばかり行動してしまうため、自分も周囲も疲弊してしまうのです。

身体化

あらゆる心因ストレス性の身体症状を呈しやすい傾向にあります。
気分の波が激しい(気分変調)、睡眠や食欲に異常が出る他、不満感の解消を目的とした自傷行為(リストカット・抜毛・過食嘔吐・アルコール乱用・暴行など)を契機に相談に訪れることも多いです。

受動攻撃性パーソナリティの認知

努力せよ try hard

達成したかどうかより、どれだけ頑張ったか、どれだけ一生懸命取り組んでいるように見えたかに注目された子は、次第に「努力せよ」の認知を持つようになります。
努力せよの認知があると、物事に熱心に取り組みはしますが、過剰に頑張りをアピールしたり献身を強調したりし、そんな過程に反して途中で手を抜いたり、完成させなかったりします。

その背景には、幼少期の「やらされ」体験が影響しています。
養育者の言うとおりに行うことを強制されたため、成人してからも上からの指示や命令に反発したくなり、完成させないことや失敗させることによって、上に受動攻撃するのです。

過程において褒められたり注目されたりすることを最大化するのが自分の満足感を高めるには最効率だと考え、反面、完了させてしまっては注目される時間が減ってしまうため、損だと考えます。
そこには、完了によって正当な評価が下ること、失望されたり批評されたりすることへの怯えが潜んでいます。

成長してはならない

どんな哺乳類も幼い頃は可愛らしい見た目と等身をしており、成長するに従ってそのような容姿ではなくなっていきます。
人間の場合も同様ですが、養育者から「自分自身を完了させたり成し遂げたりしないでほしい。成長して離れていってしまうくらいなら、成長しないでほしい」というメッセージを受け取ることで、精神的な成長を止めてしまうことがあります。

成長してはいけないので、食事を摂らなくなれば摂食障害、愛される容姿のままでいようとすれば醜形恐怖など、メンタル疾患を発症してしまうことも少なくありません。
このような場合にも、カウンセリングによる心理的アプローチと、点滴などによる生物的アプローチを並行して実施されることが有効です。

感じてはならない

「感じてはならない」「感じるべきではない」の認知を持った人は、自分の思ったことや感じたこと、特におびえと悲しみをそもそも抱いていないかのように知覚します。
これは、思ったり感じたりしたことでは親の理解や共感を得られなかったこと、怖がったり悲しんだりしても、むしろそれを笑いものにされて余計に傷つけられたことなどに由来します。

この認知を持った人は、自分の身体感覚に注意を向けたり、今どのような感情を抱いているかを言葉にすることがとても苦手です。
カウンセリングでは、感じていることに注意を向けられるようになることを目指したり、感じたことをいつ誰に伝えるかを一緒に計画したりしていきます。

受動攻撃性パーソナリティの原因

受動攻撃性パーソナリティとなる生物学的・遺伝的要因は特定されておらず、出生後の生育歴にその原因があるという説が有力です。
受動攻撃性パーソナリティの育てられ方に特徴的なのは、禁止令の多さです。

子どもが間違ったことをしたとき、親や養育者の取る行動は2つに大別されます。
それは、①正しい行動を教えるか、②間違った行動を止めるか、です。
子どもが他の子のおもちゃを取ったとき、「ちょうだいって言うんだよ」と教えるのが①、「とっちゃダメでしょ」と止めるのが②です。
禁止令とは、この②のアプローチです。

受動攻撃性パーソナリティの人は、幼少期に「ダメ」を始めとした禁止令を一身に受けて育ちました。
禁止令では「ではどうしたらいいか」までは分かりませんから、最初は色々試していても、次第に試みること自体が投げやりになっていきます。
何をやっても禁止令が飛んでくるので、最も有効そうな手段――感情的になること(かんしゃく)をよく使うようになります。

そのかんしゃくでも通用せず、結局やりたくないことでもやらされることが分かってくると、今度はその「やらされること」に手を抜いたり、あえて失敗するようになったりします。
失敗することで、「ほら、やらされてもうまくいかないんでしょ」と反抗し、一矢報いるのです。
これが、受動攻撃のおこりとされています。

どんなに「やらされ」を失敗しても自分は満たされませんから、不満感はずっと本人の中に残ります。
ただ、失敗することで笑いが起こったり、注目を浴びたりすることも経験するので、笑いの取り方や緊張した空気の緩め方などには、一日の長があります。
そのまま成人し、「問題を解いたり成功を修めたり、人に必要とされたりするにはどうしたらいいか」が必要となってから、受動攻撃性パーソナリティとしての問題が表面化します。

受動攻撃性パーソナリティ障害

受動攻撃性パーソナリティの傾向が極端さを増し、社会生活や対人関係を大きく損ねるようになった場合、受動攻撃性パーソナリティ障害となります。
受動攻撃性パーソナリティ障害は、アメリカ精神医学会の診断基準(DSM-Ⅲ-TR)で試験的に提唱された診断名であり、1994年以降のDSMの記載からは外されていますが、WHOの発行している診断基準(ICD-11)には、攻撃的-受動的なパーソナリティ障害として現在も記載されています。

診断基準としては、要求されたことに拒絶的なこと、受動的な反抗を示すこと、大うつ病性障害や気分変調性障害でないことなどを確認し、以下の4つ以上に当てはまると診断されます。

受動攻撃性パーソナリティ障害の診断基準
  • 日常的な社会的及び職業的課題を達成することに受動的に抵抗する。
  • 他人から誤解されており適切に評価されていない不満を述べる。
  • 不機嫌で論争を吹っかける。
  • 権威のある人物を不合理に批判し軽蔑する。
  • 明らかに自分より幸運な人に対して、羨望と憤りを表現する。
  • 個人的な不運に対する愚痴を誇張して口にし続ける。
  • 敵意に満ちた反抗と悔恨の間を揺れ動く。

まとめ

受動攻撃性パーソナリティは明るく愉快であり、対人関係上は好ましいと感じられることも少なくありません。
一方、課題に直面するとどう解決していいか分からなくなったり、感情的に反応してパニックを起こしたり、受動攻撃的に行動して周囲を困らせたりします。

幼少期に身につけた行動や思考、「自分の本当に欲しいものは自分から獲得しにいってはならない」といった信念などを書き換えるには、カウンセリングが有効です。
また、仕事や人間関係のこじれを解決するにも、一人で取り組むより、カウンセラーと二人三脚で取り組んだ方が、達成までの負担感は軽減できるでしょう。

心身の不調だけでなく問題解決への糸口をお探しの方は、ぜひ一度当オフィスにご相談ください。

※1 交流分析による人格適応論, ヴァン・ジョインズ, イアン・スチュアート, 2007

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