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過大視と縮小視 -認知の歪みと対策04-

贔屓目ひいきめに見る、という慣用句があるように、どちらか一方に肩入れし、どちらかを悪しざまに言うことを、私たちはたびたび行います。
ただ、いつも自分以外が良く見え、自分は悪く見えるとしたら、それは苦痛や劣等感を引き起こすものになるでしょう。

過大視と縮小視は、無意識に対象の長所が素晴らしいものに見え、別の対象の短所はあまり大したものには見えなくなる、認知の歪みです。
過大視と縮小視とは何か、どうして過大視と縮小視が起こるのか、過大視と縮小視の治し方について説明します。

認知の歪みとは

認知とは、物事の見方や捉え方です。
認知の歪み(Cognitive distortion)とは、非論理的で非合理なものの見方のパターンのことです。

認知の偏り
二分化思考(全か無か)私は何をしてもうまくいかない・私は完全な落伍者だ
非現実的な期待一番でなければ意味がない・間違いは許されない
破局的思考失敗を犯したので、私は貧しく孤独になるだろう
過度の一般化面接に失敗したから、絶対に職には就けないだろう
心のフィルター試験科目のうち、一つの点数が低かった。私は何一つ上手にやれない
マイナス化思考これは大した成果ではない。みんなもっとうまくやっている
▶過大視と縮小視あの取引ではなんてへまをしたのだろう。上司の望んでいた条件を提示されたのに
結論への飛躍あの人は友達面をしながら裏では笑っている。私には分かる
感情的な推論自分に魅力がないと感じているから、事実そうに違いない
物事を個人的に受け取る
(自己関連づけ)
私の話が終わる前に二人退出していった。私の話がつまらなかったに違いない
自責または自己批判仕事についていけない。私が愚かでなまけ者だからに違いない
自己罵倒私は本当に愚かだ
認知の歪み一覧

認知の歪みには、①ネガティブ感情の原因と、②ネガティブ感情に拍車をかけるものの2種類があり、過大視と縮小視は①に該当します。
個人的には、認知の歪みではなく認知の偏りという表記が適切と考えますが、ここでは認知の歪みで統一しています。

「歪み」というと「歪んでいない(正しい)状態」が存在しそうですが、正しい認知というものはなく、それぞれがそれぞれの見方で、自分を取り巻く環境を知覚しています。
「正しい=良い」「間違っている=悪」という捉え方が、既に認知の歪みが出現している状態です。
「写真で撮影したような客観的事実=正しい」こともあれば、「場の大多数が同じように感じたこと=正しい」こともあります。

過大視と縮小視とは

過大視とは、物事の一面を大きく感じたり、その影響を大きく見積もったりする認知の歪みです。
自分の目の小ささや歯並びの悪さは気にするけれど、他の人の目や歯は気にしたことがない、といった場合、過大視の認知が働いています。
特に、一つの失敗が甚大な結末を引き起こすと考える過大視を、破局的思考と呼ぶこともあります。

縮小視とは、反対に物事の一面を小さく感じたり、影響を小さいものと見積もったりする認知の歪みです。
自分の職場への貢献度を小さいものと考えたり、日々こなしている家事は取るに足らないものと見做みなしたりするのは、縮小視によるものです。
過大視と縮小視はそれぞれ別の認知の歪みですが、同時に働くことでネガティブ感情を引き起こすことが知られています。

双眼鏡の認知、誇大視、過大評価と過小評価などと呼ばれることもあります。
つらい気持ちを引き起こす過大視と縮小視のパターンとして、2通りの場合が考えられます。

  1. 自分のことには縮小視が働き、自分以外のことには過大視が働く場合
  2. 自分のできることには縮小視が働き、できないことには過大視が働く場合

ここでは、主に1のパターンについて説明していきます。

過大視と縮小視の例

自分はネット検索が得意でPCが不調でも自力で解決できるのですが、それなら同年代もみんなできるような気がしてしまい、大したことではないような気がします。
反対に、上司はPCには疎いですが、口は達者で機転が利き、営業先でも素早く相手の話題に合わせて売り込む物を変えられるので、ますます「自分なんて……」と落ち込んでしまいます。

私はSNSでみんなの写真を見るのが日課なのですが、ある特定の人の投稿が気になってしまいます。
会ったことはなく、フォロワー数も同じくらいなのですが、高級レストランと思われるところの料理や、自宅であるタワマンの部屋からの眺めがアップされると、どうしてもやるせない気持ちになります。
私は毎日食卓に並べる料理を、ない知恵を絞って良く見えるように撮って投稿していますが、それもみじめさが増すだけだから止めようかとも悩んでいます。

過大視と縮小視はなぜ起こる? 過大視と縮小視の原因

特に過大視と縮小視がネガティブ感情を引き起こしやすいのは、自分に縮小視を、自分以外に過大視を適用したときです。
つまり、自他を比較するところから、認知の歪みへの第一歩は始まっているといえます。

比較には、メンタルを健全に保つものもある

自他を比べることを、心理学では社会的比較といい、上方比較と下方比較に分類されます。
上方比較とは、自分より優れていそうな人と比べること、下方比較とは反対に、自分より下と思う人と比べることです。

このうち、下方比較をすることによって主観的な幸福感を高められることが確認されています※1
つまり、自分より不幸そうに見えたり、劣っているように見えたりする人と自分を比べて優越感を感じることによって、精神衛生を保っているのです。
裏を返せば、うつや不安などによって精神的に不安定になると、下方比較しなくなり、更に幸福度が低くなる悪循環に陥る可能性もあります。

親や教師から比較され続けると、比べることが内在化する

自分と自分以外を比較するようになるのは、家庭や学校で周りと比較され続けてきた影響もあります。
家庭では、親によって兄弟や近所の同級生と比べられたことで「自分の持っているものよりあの人の持っている能力や技術の方が良いんだ」という意識を刷り込まれたケースがあります。
学校でも、教師から競争意識や優越感/劣等感を刷り込まれ、自分の出来の悪さにばかり注目されていれば、教師の過大視と縮小視をそのまま引き継ぐことにもなるでしょう。

親から差別的な扱いを受けた子どもは、思春期以降にも自尊心が低く、比較されることに過敏になるという研究報告もあります※2
幼少期の親からの扱いがトラウマ化すると、成人後の認知の歪みも当時に即したものになっている可能性があります。

過大視と過小視の治し方・対処法

過大視と縮小視の陰には、自他比較が潜んでいます。
過大視と縮小視を修正できても、「自分はこうなのに他の人はああしている」と比較してばかりでは、いずれつらい気持ちになったとき、過大視と縮小視が蘇ってきてしまうことでしょう。
過大視と縮小視を修正したいときには、自他比較しなくなる方法が有効です。

自他を比較しないことは困難ではありますが、不可能ではありません。
SNSを見て自分と投稿者を比べてしまうのであれば、SNSから離れる時間を増やすのも手でしょう。
自分の仕事や趣味に没頭し、比較の入り込む余地をなくすのも良い手です。
就学前のことを思い出し、「自分は何に没頭しやすいか」を振り返ると、解決のヒントに繋がります。

比べようもないものと比べていないか

そもそも、自他比較は本能でも遺伝でもなく、社会性獲得のための過程であり、後天的なものです。
違うところ(異質性)を比較するには同じところ(類似性)がなければなりませんが、果たして自分と同じような人がどれだけいるでしょうか。

例えば、同学年というのは日本の学校(教育基本法)が定めた区分です。
4月生まれと3月生まれの間には10ヶ月の差があり、同じとは言い難いでしょう。

同じ年に入社したとしても、それぞれの目指しているものが異なれば、これも比較になりません。

年間100万を売上目標にしている人にとっての50万は50%達成ですが、1億を目指している人にとっての70万は10%にも届きません。
50万より70万稼いだ方が優れている、とは言えず、50%達成の方が優れている、とも言えないのです。

親によって兄弟や近所の子と比べられてきた場合だと、比較はもっと雑です。
年齢も違う、目指す先も違う、居住地だけがやや近い人と比べられて「自分は出来が悪い」と思うのは、かなり無理のある比較です。
自分と比べられるのは自分だけであり、他人とは比べられないことを知りましょう。

養育者や教師が自分と誰かを比べてきたのは、ひとえにその方が能力を伸ばしやすいからです。
ピア効果(Peer effect)といって、人と比べたり一緒にやらせたりした方が、競争心や成果への集中度が高まり、一人のときより成果が上がるとされています。
人から比べられていなければ、無理に自分と他人を比べる必要はないのではないでしょうか。

まとめ

自分と他人を比べると、自分の特徴は大したことがないように見え、他人の特徴は大きく素晴らしいものに見えることがあります。
このとき、過大視と縮小視という認知の歪みが作用しています。
自他比較がネガティブ感情を引き起こし、過大視と縮小視によって更にその苦痛が増幅されます。

自他比較をやめることで、過大視も縮小視も起きにくくなります。
自他比較は幼少期に比較された経験が内在化している可能性があり、人から比較されなくなった今でも、その名残から自分と他人を比べているものと考えられます。
社会に適応していく過程では比較は重要ですが、過度の比較はかえって気分や適応を悪化させます。

過大視と縮小視を含む認知の歪みは、すんなり修正できるタイミングとそうでないタイミングが存在します。
例えば、適応障害で強いうつ気分に苛まれているときには、認知の歪みの修正は困難です。
骨折で足が痛いときに「痛みは脳が生み出しているんだよ」と説かれても、「足が痛い」としか感じられないのと同じです。

ネガティブな感情を引き起こす4つの認知の歪みについて説明してきましたが、こういった説明や治し方を読んでも、「自分にはできそうにない」と感じる人もいるでしょう。
それは、あなたの意志が弱いとか理解が悪いからではなく、まだ認知の歪みを修正できる段階ではないからかもしれません。

当オフィスでは、来院された方の状態に合わせて、タイミングに合わせた治療を提供しています。
認知の歪みでお困りの際は、ご相談ください。

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