ちいさくてかわいい生き物には愛護心が生じ、自然と「助けたい」という気持ちが湧くものです。
弱っているもの、傷ついているものに対しても同様の感情が湧き、優しくしたり、援助の手を差し伸べたくなったりするのは、動物的本能です。
こうした自然と湧き上がってくる思いやりが、あるときふっと抱けなくなったり、感じられなくなったりすることがあります。 それが、思いやり疲労です。
思いやり疲労とは何なのか、どのような人がなりやすく、ならないためにはどうしたらいいか、臨床心理士が解説します。
思いやり疲労とは? 思いやり疲労の定義
思いやり疲労(compassion fatigue)とは、対人援助職や生き物を保護する役割にあるとき、トラウマになるような出来事に遭遇した人や動物と相対したことによって生じる、二次的トラウマ的ストレスの一種です。
トラウマ的出来事にまつわるつらく苦しい体験を共有することにより、共感したり、思いやりを持ったりする気持ちが湧き上がらなくなる状態のことです。
思いやり疲労になるとどうなる? 思いやり疲労の症状
思いやり疲労は、「共感疲労」「慈愛の疲労」とも呼ばれます。
この状態になると他者のニーズに鈍感になり、将来的には共感性を欠き、他者の繊細な感情を察せなくなったり冷淡になったりします。
思いやり疲労にある状態は、肯定的な感情が生じにくくなり、他者を援助したり支持したりしたいと思えなくなります。
取り組んでいることへの満足感が欠如し、無力感を感じたり、無感覚に陥ったりします。
焦りを感じたり、無性に怒りを感じたりすることもあります。
思いやり疲労は感情面だけでなく、身体的苦痛にまで及びます。
物事に集中しづらくなり、注意が散漫になります。
精神的な症状だけでなく、体に痛みが生じたり、疲労感を強く感じたりもします。
これらが人への関心を低下させ、仕事であれば離職に至ったり、介護やボランティア活動であれば虐待的な対応を行うようになったりすることもあります。
思いやり疲労か確認するには? 思いやり疲労度チェックリスト
上記のチェック項目のうち、8つ以上に「当てはまる」場合には、思いやり疲労の可能性があります※1。
思いやり疲労と似たものは? 思いやり疲労との類似点と相違点
思いやり疲労は二次的心的外傷ストレス(STS)、代理的トラウマ、二次的サバイバー、二次的被害化などとも呼ばれます。
トラウマ的出来事を直接体験したわけではなく、直接体験した人を支援したがために情緒的に引きずられ、その後共感を抱きづらくなったり、思いやりを持つことから一歩引いたりするようになる、二次的な状態です。
思いやり疲労と複雑性PTSD
同じくトラウマ的出来事の二次的な障害に、複雑性PTSDや発達性トラウマがあります。
これらはトラウマ的体験が長期化したために感情の起伏が激しくなったり、自分自身に対して否定的になったり、以前とは性格が変わってしまったりする状態を指します。
複雑性PTSDはトラウマ的出来事を体験した本人に症状が現れるのに対し、思いやり疲労は体験した人に対応した人、援助者や支援者に現れる症状です。
思いやり疲労と燃え尽き症候群
援助者や支援者が変調をきたすものとして、燃え尽き症候群があります。
燃え尽き症候群とは、感情的な疲労感や達成感の低下などを特徴とする心理社会的現象です。
燃え尽き症候群の方が成立は古く、また特に何かに専念したり成し遂げたりしていない人でも思いやり疲労を起こすことはあるため、燃え尽き症候群は思いやり疲労の一種ではないかと目されています※2。
思いやり疲労になりやすい人とは? 思いやり疲労の危険因子
ある出来事がトラウマ化しやすいかどうかは、近接度・インパクトの強度・持続時間の3つによって決まります。
近接度とは、その出来事がどれだけ近くで起きたかどうかです。
インパクトの強度とは、その出来事がどれだけ日常とかけ離れているか、どれだけ広範囲に影響を及ぼすものであったかです。
持続時間とは、その出来事とどれだけ長時間関わったかです。
思いやり疲労が起こりやすく深刻化しやすいのは、より近しい関係の人に共感し、よりショッキングな出来事について話され、その時間がより長かった場合ということになります。
関わる人数の少ない地方より都市部の人の方が、より思いやり疲労を生じやすく、共感や同情の念を抱きにくいと考えられます※3。
思いやり疲労になりやすい職業
業種 | 職種 |
医療従事者 | 医師・看護師・救命救急隊員・緩和ケアワーカー |
介護職 | 介護士・ホームヘルパー・ケアマネージャー |
メンタルヘルス専門家 | 産業カウンセラー・スクールカウンセラー・心理士 |
児童養育関係 | 児童保護員・児童指導員・保育士 |
動物関係 | 獣医師・動物愛護員 |
学校関係 | 教師・保健室の先生・学生課の専門家 |
公務 | 警察官・消防士・公共図書館員 |
法学関係 | 弁護士・執行官 |
その他 | ジャーナリスト |
他者に共感し、情緒的に寄り添う能力の高い人の方が、思いやり疲労を発症するリスクが高いです※4。
そういった能力を持ち、その能力を活かす場面に多く遭遇する仕事に従事している人は、思いやり疲労になりやすいといえるでしょう。
医療従事者に代表されるように、死亡などのストレスについて、遭遇後にそのことについて議論しない「沈黙の文化」が定着している職種や職場ほど、思いやり疲労には特になりやすくなります※5。
思いやり疲労を発症すると、薬物乱用のリスクが高まり、抑うつ状態になったり気分変調をきたしたりしやすくなり、自殺率も高まることが指摘されています※6。
メディア報道によって拡散される思いやり疲労
トラウマ記憶を植えつけられる出来事として、地震や津波などの自然災害があります。
災害に関する報道や被災した人々の様子をメディアで目撃することで、思いやり疲労になる可能性が示唆されます※7。
他にも、銃撃されるまさにその瞬間を目にしたり、貧困や飢餓に苦しむ人々を見たりした場合にも、思いやり疲労が引き起こされているかもしれません。
撮影機材や通信機器の発達によって世界中の映像が即座に手に入るような時代にはなりましたが、それらがかえって二次的トラウマを生じさせ、社会に広範な思いやり疲労を引き起こしていると考えられます。
思いやり疲労をきたしやすいと思われる方は、メディア報道から距離をとることがメンタルの自衛手段となり得ます。
思いやり疲労にならないためには? 思いやり疲労の予防と対策
思いやり疲労の予防には、思いやり疲労になりやすい職業や役割のリスクを知っておくことと、精神的ストレスを感じたときに緩和させる術を会得しておくことの2つが一般的です※8。
思いやり疲労についての知識を得る手段としては、先輩や同僚といった同じ境遇の人たちと情報交換しておくことや、職業ストレスに関する専門家と話すことなどが挙げられます。
マインドフルネス瞑想
マインドフルネス瞑想を通してマインドフルネス状態を保つことは、職業ストレスに対しても有効です。
出来事やそのことからくる囚われを自覚し、湧き上がる様々な感情から距離をとれるようになると、ストレスが軽減され思いやり疲労にまで至らずにやり過ごすことができるでしょう。
セルフコンパッション
自分自身を励ましたり勇気づけたりする手法を、セルフコンパッション(self compassion)といいます。
自分自身を思いやる言葉かけや慈愛の気持ちを持てると、他者からの声かけや励ましがなくとも気持ちを立て直せたり、感情のバランスをとったりすることができるようになります。
セルフコンパッションもまた、思いやり疲労の予防には有効です。
トラウマ治療に用いられる心理療法
トラウマ治療に用いられるような介入方法も、二次的心的外傷ストレスである思いやり疲労には有効と考えられます。
よく用いられるものとしては、眼球運動を用いた脱感作と再処理(EMDR)、認知行動療法(CBT)、弁証法的行動療法(DBT)、身体を用いた心理療法、ブレインスポッティングなどがあります。
まとめ
「困っている人や弱っている人を助けたい」「苦しんだり痛がったりしている人を楽にしたい」と思うのは、社会的動物である人間としての自然な感情です。
そういった思いやりや慈しみの感情が少なくなったり、全く湧き上がってこなくなってしまうのが、思いやり疲労です。
これまで感じることのできていた感情や情動が感じられなくなるのは、大変つらいものです。
思いやり疲労はトラウマ的な出来事の二次的被害ですから、その状態に理解を示してくれる人もそうそう周りにはいないかもしれません。
思いやり疲労になってしまいトラウマ治療を検討したい方、思いやり疲労になる前に状況の整理をされたい方などは、ぜひ一度当オフィスにご相談ください。
※1 思いやり疲労自己テスト https://global-uploads.webflow.com/5d8d3848918e58439ae3ca3f/5dcb23943922e845e6beabaf_Compassion%20Fatigue%20Self-Test.pdf
※2 医師は『バーンアウトしている』のではない。道徳的傷害に苦しんでいるのだ https://www.statnews.com/2018/07/26/physicians-not-burning-out-they-are-suffering-moral-injury/
※3 全米36都市における支援協力 https://psycnet.apa.org/doiLanding?doi=10.1037%2F0022-3514.67.1.69
※4 二次的心的外傷性ストレス障害としての思いやり疲労 https://psycnet.apa.org/record/1995-97891-001
※5 死を『タブー視しない』社会における医療従事者の死との遭遇についての沈黙 https://www.fons.org/library/journal/volume7-suppl/article9
※6 クリティカルケア医療従事者における燃え尽き症候群 https://linkinghub.elsevier.com/retrieve/pii/S0012369216012691
※7 ソーシャルメディア時代に正気を保つためには https://www.huffpost.com/entry/preserving-your-sanity-in_b_8578684
※8 思いやり疲労と二次的トラウマ:小児集中治療室における医療者のセルフケア https://www.jpedhc.org/article/S0891-5245(07)00008-9/fulltext
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